さて、人々の強欲とは一体どこへいくのだろうか
今、「これからの正義の話をしよう」を読んでいる。
本を読むとたまに文字が抜けていく
アニメのモヤモヤ〜のようにどこかへ飛んでいく。
本の中にこのような場面があった
ハリケーンの後に起こる便乗値上げに人々が憤慨していること。
例えば家屋に倒れてきた木々を取り除く工事にいつもより何倍もの値段を重ねる、これが便乗値上げだとして
自由経済として利益を最大化することは
いや、助けを求める人々から金をむしり取るなんていかがなものかと
これは、一体、どこへいくのか。
なぜ人々が憤慨しているのか
答えは簡単である
それは、「自分に損があったから」だ。
これに対して、そんなことない、と思う人もいるだろうが、今はあれでそれで自分を肯定する手段、SNSがある。
しかし、SNSによるドーパミンの操作が生存を脅かすとしたら、はたまた、お客様が神さまじゃなくなったとき
強欲者にはそもそも売ってくれない場合もある
結論はこうだ
自立。
なぜ備えないのか
なぜ甘えるのか
なぜ今に満足できないのか
ここは求めるべき所ではない
人によって価値観が違うのだから。
けれども、嘆かわしいのは、損得に踊らされることであり、損する時の感覚も、得する時の感覚も、恋に胸が苦しむ感覚も、同じ無意識化で到来する物だから、我々は理性というハンドルを右に切っていながら、すでに車体は左へ向かっているようだ。
ではどうすれば良いのか。
必要最低限の生活
の、クオリティを上げたらいい。
お金を一切稼げない人でも
セレブのような暮らしができるようにすればいい。
できない?
できるさ
セレブのような暮らしなんてホントは必要ないのだから。
世界に一人でブランドを着飾る人なんていない
生死の境でデザインを気にする人なんていない
そんなのは贅沢だ
必要最低限で十二分に満ち足りる生活を提供することは簡単だ。
家とコミュニティとみそ汁があればいい。