明日は暇であるから、こうしてサンマルクにいるのだが、とにかく何か考えないといけないので、諸君、よろしく頼む。
どうにもわたしには、すべきことがあるらしい。それは、*人をやさしくすることだ。ただ、どうでもいいことでもある。それほど日常に溶け込んだ目標だからだ。
まぁ、そのためには、長期的にすべきことと、中期的にすべきことと、短期的にすべきことがある。木を見て森を見て、森を見て林を見るのだ。それが近道であり遠回りであるからして、これがわたしの人生のようだ。
かくして、コーヒーは森からわたしを救出し、文明に逃げ込み、文明の利器に指を幾度も滑らしている。どうやら、逃げ込んだわたしを非難するわたしに対しての反論を綴っているようだ。
わたしはヒゲが伸びるほど物事を考えた。難しい数学に取り組んでいた訳ではなく、1足す1を何度もやり直していた。1足す1の答えが人によって違っていてもいいのでないか。これは、時間は我々が生み出した自然な概念であるとの答えと似ている。
思考すると、満ちる。
そんな感覚がある。謳歌している気がしてならない。時間ならぬ概念の無駄使いだと言われようが、いや、わたしもそう思う。
きっとそれがわたしのある種答えの一つであって、今は、無について話したいと思う。無とは一体なんだろうか。それは白だ。無とは白である。透明ではない。
もし、透明を0だと、無だと捉える方がいれば、白は1になりうる。わたしの考えは違う。なぜなら、白はわたし達のこころを攫うからだ。白は、さらさらと舞って、ちりちりと燃えて、を消してくれる消しゴムだ。
そんな無の存在に、普段感謝することはない。なぜなら、白の消しゴムは1を0にするが、100は99にするからだ。灰色と赤が背景で、クレヨンのカスが踊っている所に飛び降りたくもないだろう。
ここの問題点は、なぜカスを降らすのかだ。灰色と赤では満足出来なかったのか。蚊帳の外の話だと思っていても、あなたが今着ている服のストーリーを話してしまえば、世間の雑音がフェードインして聞こえてくるだろう。
無は、わたし達を殺しもするし、生かしもする。
無は、わたし達を殺そうとはしない。生かそうともしない。わたし達が飛び込んだり、戻ったりしているだけだ。
この話を聞きながら、頭にイメージが湧いていなければ、白いキャンパスを思い出せばいい。そのままだ。そのままだ。何も手をつけずに、そのまま。
気をつけないといけないことを話そう。あなたを囲む空気すら、1だ。空気も、服も、人も、車も、家も、ご飯も=6となる。増えるしかない、戻れない恐怖から逃げ出したければ、深く、深く、深呼吸することだ。
あなたの無という白いキャンパスは、他人とは違う無という白いキャンパスであるから、ニヤつけばいい。