どうも
ひまっちゃ暇なので
かのうせい
について
思考してみましょう。
共にね!!!!!
さて、かのうせいとは
可能性
です。
わたしは人生にとって割合を大切にしています。
そうじゃなくとも
この可能性について
一度熟考してもいいと思えるほど
世の中にとって可能性は、重要な位置づけだと思うのです。
はっきり申し上げると
なぜ可能性が重要であるかは
我々の意思決定に欠かせないからです。
だからこそ
この可能性に牙を剥いてみても
いいと思うのです。
すでに、何を言っているんだコイツってのはも~~
重々承知の助でございます。
わたしは、
あたりまえを
掘り起こしたいのです。
この”かのうせい”とやらを一度分析してみましょう
可能性とは
すなわち
未来の行動の再現率を数値化したものだ
「今日俺んち来れる?」
「あーうん行けたら行く」
5%である。
俺ん家に行ける場合100%
もしかしたらいけない場合50%
わたしたちは、わかりもしない未来に
この可能性を賭けます
これは、重要な勝負事であればあるほど
数値の重要度は高まります。
では、牙を剥けましょう。
この可能性というものは
あまりにも残酷だと思うのです。
可能性という物に、人情を感じれない場面があるのです。
可能性という物が
足かせになるのです。
口だけのわたしだから気持ちもわかります
それは、熱意などの暖かいエネルギーは、決して行動に顕著へ反映されない。
物事の安定には、冷静に見極める必要性があります。
冷静であり冷酷に安全を生み出すには
この情熱というエネルギーは不安定なのです。
もちろん
そのエネルギーをうまく結果に結びつけてあげたらいいのです。
けれど勘違いしてはいけません
情熱というものは、我々を盲目にもさせるのです。
情熱の種類を見極めなければならない
また、可能性を高めるには、時間が費やされます
これが足かせとなるのです。
結果、可能性をうまく利用しよう♪
という結論にもなるが
わたしが今後危惧している冷たい社会に対して
アホみたいに可能性を捨てて
まっすぐ突っ込んでくる
ジャンプ少年のような
そんな者の可能性に
賭けてみたくなるのであった。