ふと

自然と人間を区別するものは一体何か疑問に思った

 

わたしもまだ明確な答えがないので

共に考えたいと思う

 

 

まず、なぜ自然と人間を区別する必要があるのか

 

 

確かに自然というカテゴリーの中に

人間は存在していて

 

 

人間の非継続的な暮らしから

もし地球生命体の終わりを迎えようが

 

 

自然である

 

 

しかし

非継続的な暮らしに対して

我々は対処しようとするだろう

 

 

これは

生きたい

と考えるからだ

 

 

つまり自然というカテゴリーの中にあって

動物的な欲求から

生に危険を感じれば

理性を呼び覚ます

 

 

この理性こそ

人間社会を生み出したものである

 

 

わたしはこのコントロールを自然とは思えない

 

 

というよりも

自然より人間

という表示のほうがしっくりくる

どちらも包括しているとしてだ

 

 

では

人間について思考したい

 

 

わたしが思う人間的な行動は

マナーだ。

 

 

なぜマナーがあるか。簡単に言うと

不快感を与えない方法がマナーである

共存する必要があるからだ

 

 

後世へ遺す絵が美へと飛翔したように

マナーもその意味合いが高く

つまり、不快感を与えなければいいのであれば、マナーを覚える方法も変わってくる

 

 

ん?

 

 

であれば

自然と人間を分かつ

指標として

共存する

というのはキーになるのか

生殖活動は自然ではないのか

 

 

死生観。

 

 

これもポイントとなるだろう

 

 

人間はイメージをもって

繁殖したと考えられているらしい

ソース:どっか動画

 

 

宗教などがそうだが

 

 

今ではアニメ

 

 

スピリチュアルなこと

 

 

現存していないこと

 

 

その証拠にわたし達は以前として

現実とかけ離れたものを追いかけ続けている。

無意識にだ

 

 

今後科学は発達して

かっちょいい宇宙船が飛び交うとして

 

 

それは未だ実現していないが

 

 

ではそれは今なにか、イメージである。

 

 

あなたの死生観とはなにか

 

 

この思考すら自然と一線を画す

 

 

まてよ

 

 

我々の社会において

 

 

このイメージというものは

 

 

どのほどのウェイトを持つのだろうか

 

 

かなり多くないか

 

 

と、なれば、今の社会というのは

偶像だ

 

 

では自然な社会とはなんだ

 

 

人間が歩むべき自然な社会とはなんだ

 

 

生殖活動の成功率をあげることか

 

 

そんなことを言い出したら

元も子もない

 

 

歴史が、文化が、これまで生きてくれた方に何を感謝すれば良いのだ

 

 

わたしなりの答えはある

 

 

しかしそうではない

 

 

ただわたしは暇を思考で潰しているだけだが

 

 

それを利用して

深く考察したいのだ

 

 

自然と人間を区別するもの

それは、思考力かもしれない

 

 

わたしたち人類も自然であって

 

 

思考による非継続的な営みが死を連想させ

途端、自然を意識するのであれば

 

 

継続的な営みを思考する

人間社会が他にあるのではないだろうか

 

 

あっちやこっちや行くのではなく

 

 

理性や本能や言うんではなく

 

 

社会の仕組みを今一度考察必要があるのかもしれない。全ての方々に、WINの状態でだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

提供

 

 

 

 

 

 

 

 

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たわし