自主性と強制
フィンランドでは
日本と全く違う教育がなされている
それは
自主性が重んじられている
ということだ
昨今のコーチングに
この流れは組み込まれており
時期に実際の教育現場へも
取り入れられるだろう
なぜなら
実績があるからだ
しかし
不安視する人も現れる
そこが一長一短であり
自分、以外の人を
自分、以上に扱えるか
というところだ
もし戦争が起こるとして
そういうこと
しかし、
これから社会はどうなるのか
ネットは私達をどうしていくのか
そう
この自主性と強制の先には
希望があり
現在の葛藤は
現在の葛藤である
流れやブームは
回る
それが両端をいってまわって
点が中央に寄っていく
それには
時間がかかる
人が多いからだ
もし自主性を取り入れるとする
なかなか上手くいかないだろう
なぜなら
人の欲求はあっちやそっちに飛び火し
おっとっとと
あなたの強制が始まるからだ
窓の外から親が見ている
目の前の子どもが違うことを始める
お金はどこにいくのかと思い焦る
効果の結果
と
練習の過程
が
あなたのイメージが崩壊している今。
最大の結果は
最大の自主性で時間がかかる
最小の結果は
最大の強制で時間がかからない
つまり
幸せな強制を知ることだ
人はストイックを心地いいと感じる
それは
心地よい枠が用意されているからだ
選ぶ。
放置が自主性を高めるのではない
自主性を高めるため放置するのだ
野原に放てば育つのではない
あなたはその野原に
道具と取説の横にニコニコ立っていればいい
もちろんこの考えが間違っていることもある
大切なことは
合っているか間違っているか
という話し合いをしながら
歩みだしているかどうかだ。