公園でぼーっとしています
テニスがおわって
ええ公園どす
公園でぼーっとしてたら
しなければいけないことを忘れられる
のではなく
自分の中の毒をしぜんが吸収してくれて
それってもしかしたら
自分の中に波長があって
ロックみたいに激しくて細かい波長であれば
キャパがないから
やりたいこともやるきも薄れてしまって
公園で毒をぬき
波長がゆったりとしたら
余裕ができたら
しなければいけないことに
取り組めるようになるのではないか
そのように思想したことで
ブログに遺したいと考えついたことがあります
それは
波長とか
引き寄せの法則だとか
人が人として
客観的な成功。
つまり自由を
安定を手に入れるために
使えるツールである
それらは
物事を分かりやすく表現したものではないかということです。
それらに実態がないし
科学で証明されたとしても
目に見えないものが
信用されない
という人の考え方が前提にあるとしたら
目に見えないものを
証明する
そっちに合わすんじゃなくて
人に合わすのであれば
それらは、
物事を分かりやすくしたもの。
だと、思ったのです。
だから、わたしがいま
波長とか云々とか言えば
胡散臭くなってしまうし
それを無理に証明するのではなく
分かりやすくしたもの
とすれば
すんなりと受け取ってもらえるのではないか
という
公園サンクスっす。
だから何?
となれば
この考えに何のために価値があるの?
となれば
これが、お互いの中間ではないのか
という点に価値があります。
引き寄せの法則
などになる、実態のない生き方
それらを証明したい人
実態がないゆえに
脳科学的に証明されても目で見れるのが困難だから信用しない人
いや、これは分かりやすく表現した言い方だから
もっと人は複雑で
それぞれの価値観がありますから
ブックオフいこ