ご本を読んで刺激を受けたので

持ち前の思考力を武器に

 

”思考は現実の先を行く”

というテーマで物事を考えたいと思います。

 

 

 

これは、哲学のような話ですが

哲学の授業など受けていないわたしにとって

ただの考えであります

 

そして、人はなぜ生きるのか

この答えは

人それぞれである

と思い至ったことを前提に話を進めさせていただきたい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タイトルを簡単に訳すとこうなります

人は何か行動するときに、一度思考している

意識無意識を経て

一度思考している

 

例えば、

ぼーっとしているとき

急にティッシュを取ったりはしない

 

何かを感じる

鼻水であったり

また何かの汚れが気になったり

 

例えば、

熱いやかんを触って

反射的に手を引っ込める

 

ん。確かにこの場合、思考を巡らして手を引っ込めたわけではないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁなんせ。

 

 

 

 

 

 

 

 

われわれにとって

思考することは

当たり前であり

 

わたしは

当たり前を当たり前で終わらせるべきでないと説きたい

 

順序良く階段を上るほうが確実であるが

一段一段を大きくし

手軽に疑似体験するとすれば

 

我々は、なぜ生きているのでしょうか

それは、人によってさまざまだと最初にいいました。

この時点で、すでに矛盾が発生しています。

 

なぜなら、わたしたちは今行っている

人間として行っている社会行動は

なぜ生きているかの答えになっていないからです。

つまり、わたしはこうしたいから今働いている。

このような答えになっていない。

 

いや、行っている。

そう思う人もいるでしょうが、この話の旨味は、いや、行っていないのです。にあるので

しばしお付き合いください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とはいえ

生活のためには働かないといけない。

それよりも

学校を経て、社会人になる。

このような教科書を読んできたわたしたちにとって

それを否定することは、難しい話であり

否定する必要もありませんが

 

野菜を育てれば

食うものには困らない。

 

この原点であり

上の方にある階段へ到達さえすれば

下を簡単に見下ろすことができます

 

味気なくいえば

生活するためには働かないといけない

という理由は甘えているのです

 

勘違いしてほしくないのは

生活に困窮している人を否定しているわけではありません

 

もっと

もっと

もっと

本質を掘り下げたいのです。

そのためには、冷酷に冷酷に冷酷に

一点を見つけなければ

わたしは見えないのです

 

 

 

 

「じゃぁなんだ付き合ってやろう」

こうして、会社をやめ、野菜作りに精を出します。

 

ふと、ものおもいにふける時間が生まれます。

 

そうして、思考が爆発します。

気づくのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今目の前にあるものは、

思考されたものだ

畑も家もマンションも道路もなにもかも

こうすればいいあぁすればいいが具現化したものだ

 

もしそれが本当であれば

思考して生まれるイメージと

現実に存在してるイメージは

どちらがおおきいものでしょうか

 

大きさです

大きさの話です。

 

頭に地球を思い描きます

できれば宇宙を思い描きます

銀河があり

そのさきにはひとつの輝く星があり

青く緑が映えた星で

大気圏を突入し

雲をぬけ

屋根をぬけると

あなたがいます

 

脳が解明されるほど

現実はちっぽけになる気がします

で、あれば、わたしたちが追いかけるイメージは、思考であり

思考は、現実よりも先に行っている気がするのです

 

難しい話ではありません

目の前に大きな餃子をイメージします

けれども実際に目の前にはありません

作れば餃子はあるのです

ただわたしたちは餃子を作らないだけです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思考し

大きなイメージがあれば

いかに現実がちっぽけであるか考えさせられます

そのイメージを具現化しようと追うことは

果たして、しぜんであるのか

それが現実になったとき

また人は思考を追うのか

馬がにんじんを追うように

わたしたちは、何かしらの義務を追いかけて死んでいくのか

 

思考し

大きなイメージから俯瞰して、空から眺めるように

現実という一点を眺めたとき

 

いや、思考せず

現実として

 

 

 

逆に

逆に

 

 

 

思考せず

現実として

 

 

 

 

現実として

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのとき

わたしたちが生物としての枠組みを

わたしたちが生物としての仕事を超えようともがいたとき

思考は爆発するのです。