最近のゆとり世代

そしてさとり世代

 

彼らは褒められて育った

らしい

 

というのも

厳しいプレッシャーの中で、メンタルを強く育てることが、まだまだ武士道社会では大切だと考えられていた数年前

個人を尊重し、のびのびとした思考力を育てることが大切だと考えられる現代

 

シフトチェーンジ!である

 

その考えを主張する人にとって、もっともの理論というのは

 

その方が、科学的に、仕事が捗る。

 

ということであろう。

 

 

それを真に受けた今

ゆとりさとり世代の優秀な若者

以外

 

フリーターやニート

やれば出来る

という潜在意識を植え付けられ

それを守ることに躍起になる

そんな若者たちは評価されない

 

彼らを生み出したのは

紛れもなく

褒めた

結果である

 

 

人間はなるべく考えることをしたくないので、極端に考えがちだ

なので、

褒めた結果フリーターニートを生むなら、叱咤やムチが必要であるのか

という考えになる

 

 

わたしの提案はこうだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

褒める

そして

自信が折られても大丈夫な

拠り所をつくる

 

 

 

 

 

 

 

 

褒めることによって

第三者からの見た目では分からない

大きな自分ができあがる

 

そのことは大変素晴らしいことである

 

自信を持つことは素晴らしいことである

 

今必要なのは

 

自信が折られた場合の対処法まで教えるということだ

 

そこまで考えずに

褒める

ということは

無責任なことだったのかもしれない

 

 

 

 

 

 

では、

自信が折られても大丈夫な拠り所

とは一体何なのか

 

 

 

それは、

自信があろうが

自信が無かろうが

あなたの存在を全受け止めしてくれる人の存在である

あなたのありのままを受け止めてくれる人の存在である

 

それは、友達であり、家族。

 

 

 

 

 

 

そして、いつかその拠り所は

こう変わらなければならない

 

自分自身を一番信用しているのは、

紛れも無い自分である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

友達や家族に依存してはならない

自分の主張を通すためには

あらゆる壁が存在する

 

友達や家族も考え直せという

夢を応援してもらおうとするのは

友達や家族にとって、酷である。

 

それを求めてはいけない

それに応えてくれるのは

自分自身だ

 

では、自分自身を信じるためにはどうすれば良いのか

 

 

そのような細分化の果てが

わたしの人しくで語られることであるが

それもあくまでわたしの意見

今回の議題から離れてしまう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わぁー!良く出来たねぇ!上手ー!」

「えっへん!(上手じゃないといけないのかな…)」

 

「わぁー!良く出来たねぇ!けど、一番凄いのは、根気よく挑戦しようとしたその気持ちだよ!」

 

「えっへん!(えっへん!)」

 

「無理に根気よく挑戦しなくてもいいよ。挑戦したいと思ったら、挑戦すればいいからね」

 

 

 

 

 

 

 

今のわたしには

短い言葉で本質を褒めることが

出来ませんが

 

むしろそこに関してはみなさんの方が賢いので、要領さえ掴めば、得意なはずです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

褒めるダメージを知っていますか?

ダメージを、バネに。